しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「想像力」という能力

今日は、二十四節気の「夏至」です。

一年で一番日(昼)が長い日は、終日、梅雨らしい雨が降り続いた一日となりました。


さて、今月2日に放映された「カンブリア宮殿」を、録画していたビデオで視聴しました。

その日の経済人は、ラクスル株式会社の松本恭攝社長でしたが、

失礼ながら私は、この番組を見るまで、この会社のことを知りませんでした。


でも、番組を見てビックリ‥‥。

印刷業界や運送業界など、会社の業務効率を大幅に改善する画期的な仕組みに、ある種の感動を覚えました。

また、番組で強く印象に残ったのは、松本社長の「課題はパソコンの中にはない。常に現場にある。」や

「人の限界は能力ではなく想像力で決まる。」といった言葉でした。


特に、「想像力」に関しては、寺山修司さんの

「どんな鳥も想像力より高く飛べる鳥はいない。

人間に与えられた能力のなかで、一番素晴らしいものは想像力である。」という名言を思い出しました。


ちなみに、ラクスルという会社のビジョンは、「仕組みを変えれば、世界はもっと良くなる」‥‥。

確かに、明治維新、あるいは終戦後から変わることのない世の中の「仕組み」を、

現在のデジタルテクノロジーを使って変えていけば、日本の将来はまだまだ明るいのではないか、

若い松本社長の言動に、そんな希望を抱いた次第です‥‥。

6つの短編小説

町立図書館で借りてきた『女のいない男たち』(村上春樹著:文春文庫)を読了しました。

6つの短編小説それぞれに、次のような印象に残る記述やセリフがありました。


『家福に言わせれば、世の中には大きく分けて二種類の酒飲みがいる。

 ひとつは自分に何かをつけ加えるために酒を飲まなくてはならない人々であり、

 もうひとつは自分から何かを取り去るために酒を飲まなくてはならない人々だ。

 そして高槻の飲み方は明らかに後者だった。』(ドライブ・マイ・カー)


『‥‥でも自分が二十歳だった頃を振り返ってみると、思い出せるのは、

 僕がどこまでもひとりぼっちで孤独だったということだけだ。

 僕には身体や心を温めてくれる恋人もいなかったし、心を割って話せる友だちもいなかった。

 日々何をすればいいのかもわからず、思い描ける将来のビジョンもなかった。

 だいたいにおいて自分の内に深く閉じこもっていた。一週間ほとんど誰ともしゃべらないこともあった。

 そういう生活が一年ばかり続いた。長い一年間だった。

 その時期が厳しい冬となって、僕という人間の内側に貴重な年輪を残してくれたのかどうか、

 そこまでは自分でもよくわからないけれど。』(イエスタデイ)


『すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき具わっている、

 というのが渡会の個人的見解だった。どんな嘘をどこでどのようにつくか、それは人によって少しずつ違う。

 しかしすべての女性はどこかの時点で必ず嘘をつくし、それも大事なところで嘘をつく。

 大事でないことでももちろん嘘はつくけれど、それはそれとして、

 いちばん大事なところで嘘をつくことをためらわない。

 そしてそのときほとんどの女性は顔色ひとつ、声音ひとつ変えない。なぜならそれは彼女ではなく、

 彼女に具わった独立器官が勝手におこなっていることだからだ。‥‥』(独立器官)


『‥‥人生って妙なものよね。あるときにはとんでもなく輝かしく絶対的に思えたものが、

 しばらく時間が経つと、あるいは少し角度を変えて眺めると、驚くほど色褪せて見えることがある。

 私の目はいったい何を見ていたんだろうと、わけがわからなくなってしまう。‥‥』(シェエラザード


『‥‥人間が抱く感情のうちで、おそらく嫉妬心とプライどくらいたちの悪いものはない。

 そして木野はなぜかそのどちらからも、再三ひどい目にあわされてきた。

 おれには何かしら人のそういう暗い部分を刺激するものがあるのかもしれない、

 と木野はときどき思うことがあった。』(木野)


『女のいない男たちになるのはとても簡単なことだ。

 一人の女性を深く愛し、それから彼女がどこかに去ってしまえばいいのだ。‥‥

 ‥‥どちらにせよ、あなたはそのようにして女のいない男たちになる。あっという間のことだ。

 そしてひとたび女のいない男たちになってしまえば、その孤独の色はあなたの身体に深く染み込んでいく。

 淡い色合いの絨毯にこぼれた赤ワインの染みのように。

 あなたがどれほど豊富に家政学の専門知識を持ちあわせていたとしても、

 その染みを落とすのはおそろしく困難な作業になる。

 時間と共に色は多少褪せるかもしれないが、その染みはおそらくあなたが息を引き取るまで、

 そこにあくまで染みとして留まっているだろう。‥‥』(女のいない男たち)


これらの記述やセリフの中でも、もっとも印象に残ったのは、「イエスタデイ」の記述でしょうか‥‥。

まるで、二十歳の頃の私を描いているかのような錯覚を覚えました。

また、6つの短編小説の中では、「木野」がもっとも「村上さんらしい小説」ではないかと感じた次第です。

今日の収穫

毎週日曜日は、ポッドキャスト「News Connect(ニュースコネクト)」の

「ニュース小話」を聴取するのを楽しみにしています。


というのも、日曜日は野村高文さんが、経営共創基盤 共同経営者の塩野誠さんとともに、

一週間のニュースを雑談も交えながら振り返るというもので、

お二人の軽妙な会話は、知的好奇心を刺激して、かつ、とても勉強になります。

とりわけ、塩野さんからは、物事を多面的な視点で考えることの大切さを、毎回、学んでいるところです。


また、特に今日は、最近のマーケットの動向や「弱気相場」についてのお話しが興味深かったです。

「長期的に見れば、われわれは皆死んでいる」(ケインズ)や

「マーケットは、頭としっぽが分からない」という言葉を知ることができたのが、今日の収穫でした。


毎日の「News Connect(ニュースコネクト)」も役に立ちますが、

ぜひ一度、この日曜版を聴取されることをお勧めします‥‥。

思いどおりにならない「私」というもの

先日、町立図書館に行って、6月5日(日)から6月11日(土)までの、

朝日新聞一面コラム「天声人語」と「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。


この一週間のコラムで印象に残ったのは、6月5日(日)、養老孟司さんの

「現代人は「仕方がない」が苦手である。何事も思うようになるとなんとなく思っている風情である。」

という「折々のことば」で、いつものように鷲田清一さんの次のような解説があり、

手帳にメモをして帰りました。


『人生をふり返れば、努力ではなく「いつの間にかそうなっていた」ことがほとんどだと解剖学者は言う。

 今更打つ手もない。だから「仕方がない」。何かを思いどおりにしたくて使う身体、

 もっといえばその身体を使う「私」が、じつはもっとも思いどおりにならないものだろう。

 随想「人生論」(「アステイオン」第96号)から。』


う~む、なるほど‥‥。

「何かを思いどおりにしたくて使う身体、もっといえばその身体を使う「私」が、

じつはもっとも思いどおりにならないものだろう。」ですか‥‥。

「まことにもってそのとおり」であることを、日々実感している今日この頃です。

「仕方がない」という境地に達するのは、案外と難しいものですよね‥‥。

夕やけの赤い色は想い出の色

梅雨の晴れ間に青空が広がった今日、随分と久しぶりに、西の海岸に夕陽を見に行きました。

父の足腰が極端に弱ってからは、デイサービスの送迎車の出迎えや、

夕食の準備やその後片付けなどで、夕陽が沈む時間帯に出掛けることが困難な状況が続いていました。


久しぶりに見た西の海岸に沈む夕陽は、それはもう美しかったです。

しばらく堰堤にぼんやりと佇んでいましたが、ふと気が付くと、

数人の方が、私と同じように夕陽に見惚れ、スマホで写真を撮っていました。

ところで、『長田弘詩集』(ハルキ文庫)の「最初の質問」には、

「ゆっくりと暮れていく西の空に祈ったことがありますか。」という質問があります。


人は、どういう境遇や心境の時に、西の空に沈む夕陽を見て涙を流し、そして「祈り」を捧げるのか‥‥。

今日の私には、その気持ちが理屈抜きで理解できるような気がしています‥‥。


追記

そういえば、ベッツィ&クリスの名曲「白い色は恋人の色」の歌詞に、次のようなフレーズがありました。

♬ 夕やけの赤い色は想い出の色 涙でゆれていた想い出の色

  ふるさとのあの人の あの人のうるんでた瞳にうつる 夕やけの赤い色は想い出の色

はぃ、確かに、「夕やけの赤い色は想い出の色」です‥‥。