「特定の労働者層がなぜ失業の悲惨を味わうのか…。」
昨日3日の日経新聞「経済教室」は、
猪木武徳 青山学院大学特任教授の「歴史と思想に学ぶ」シリーズで、
テーマは「失業対策は国家の責任」でした。
失業が重要な社会問題として「発見」された歴史と、
その対策の基礎にある思想について、いつものように格調高く書かれていますが、
猪木先生は、記事の最後で次のように述べられています。
『失業をめぐる問題は、
各時代の社会科学者や社会運動家によって「発見」され、解決策が模索されてきた。
近年、労働力高齢化の中で若年層の働く場が奪われていると言われる。
他方、一部の社会学者は、
内閣府の調査が若者の満足度が昔より高くなったことを示していると指摘する。
「幸福だ」と感じている人がかなりいるというのだ。
だが「今が楽しい」という幸福感は長続きしないことが多い。
従来とは異なるタイプの「失業者」が現れているのか、
失業問題の「質」が変わってきたのか、
解決策を論ずる前に、その内実を改めて「発見」することが求められている。』
この記事を読んで、「関連性があるのかな?」と思ったのが、
8月27日の日経新聞(Web版)の次の記事です。
『大学を今春卒業した約56万人のうち6%にあたる約3万3千人が、
進学も就職の準備もしていないことが27日、文部科学省の調査で分かった。
大半が「ニート」とみられ、
学校から職場へのスムーズな移行が難しいという若年層の課題が浮き彫りになった。
ニートへの対応が遅れれば質と量の両面で日本の労働力の劣化を招き、
生活保護受給者の増大なども懸念される。抜本的な対策が急務だ。』
う〜ん、なんだか分からなくなりました。
失業者の中には、
大学を卒業したのに進学も就職の準備もしていない「ニート」は含まれるのでしょうか?
一度も就職を経験していないのに「失業者」というのもおかしいような気がします。
いずれにしても、労働力高齢化の中で、
若者という特定の労働者層の働く場が奪われているとしたら大きな社会問題です。
これらの対策も「国家の責任」なのでしょうか…? もちろんそうだと思います。
猪木先生が指摘されているように、
解決策を論じる前に、若者層の「内実を発見」することが求められているのかもしれません。