昨日の続きです‥。
2月24日(金)の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、山室信一さんの
「伝えなければ、伝わらない」という「ことば」で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『私たちは先人たちをつっかえ棒にしている。ものごとを考える際の言葉や概念を受け継ぐことで。
その一方で存在していない後代の人々からも眼差(まなざ)しを向けられる。
あの時あの地にいた人たちは何をし、何をしなかったのかと問われる。
このように引き継ぎつつ伝えることが、歴史を懐として生き、
それを担う一人一人の責務だと法思想家は言う。「アジアの思想史脈」から。』
う~む‥‥。(沈黙)
なんだか自分にも「あの時あの地にいたあなたは何をし、何をしなかったのか」と問われているようです。
奇しくも同じ紙面の「天声人語」の冒頭は、次のような文章でした。
『 旧ソ連のフルシチョフ第一書記は1956年の党大会で、独裁者スターリンを名指しで批判した。
専横ぶりを糾弾する演説に聴衆から声があがった。「その時あなたは何をしていたのですか」
フルシチョフがにらんだ。「いま発言したのは誰か。挙手していただきたい」。誰もいない。
フルシチョフは言った。‥‥』
「あなたと同じように私も黙っていた」‥‥。
人は自らに不都合な局面では、沈黙を選択してしまうのかもしれません。
そして、誰もが沈黙して何もしなかった結果が、今の日本の少子化なのかも‥。
そんなことをふと考えた次第です‥‥。