しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「所有」と「高慢」の意味を考える

厳しい残暑が続いています‥。


さて、今日は町立図書館に行って、8月27日(日)から9月2日(土)までの

朝日新聞一面コラム「折々のことば」を、まとめ読みしてきました。


この一週間は、偉大な哲学者などの印象的な「ことば」が盛りだくさんでした。

まず、8月27日(日)は、ニーチェの「所有が所有する」という「ことば」で、

いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『所有は個人の自由と独立を下支えするが、ある段階を越えると反転し、

 所有自体が目的と化して人を支配しだすと、19世紀ドイツの哲学者は言う。

 以後、人は「交際に拘束され、場所に釘づけにされ、

 国家に同化されてしまった」かのごとく感じるようになると。

 所有権は一つ間違えば身を滅ぼしかねない危うい防具である。

 「人間的、あまりに人間的Ⅱ」(中島義生訳)から』


次に、8月28日(月)は、哲学者に質問する商人の

「なぜ高慢な人間はきまつて陋劣(ろうれつ)な人間でもあるのでせうか」という「ことば」で、

同じく鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『巨万の富をなした男が、その富を失うや、

 掌を返したようにぺこぺこしだしたのを見たある商人が、哲学者・カントにこう訊ねた。

 カントいわく、高慢とは、当方と比較して相手が自身を軽蔑するようにもっていく、

 そもそもが卑しい人間にしか思いつかない態度。

 その意味で高慢とは、その当人がどれだけ低劣な輩かを確(しか)と示してくれる微表だと。

 「人間学」(坂田徳男訳)から。』


はぃ、偉大な哲学者のおかげで、「所有」と「高慢」の意味について、改めて考える機会となりました。

そして今回、「陋劣(ろうれつ)」という言葉を初めて知りました。

一生のうちに一度か二度しか、お目にかからない言葉だと思います‥‥。

ちなみに、「新明解国語辞典」には、

「志が低い上に、自己の利益のためには手段を選ばず、その言行がひんしゅくを買う様子だ。」

という解説がありました。