しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「対話の精神」を学ぶ

春分の日が近づくにつれ、一日また一日と、日が長くなってきました‥。


さて、100分de名著『中江兆民~三酔人経綸問答』(平田オリザ著:NHK出版)を読了しました。

テレビ番組は視聴しましたが、テキストは長らく積読状態でした。


テキストで印象に残ったのは、「対話」についての次のような記述でした。

『‥‥私なりに定義すると、会話は「親しい人同士のおしゃべり」、

 対話は「異なる価値観を持った人とのすり合わせ」です。

 この定義に当てはめると、「三酔人経綸問答」で行われていることは、まさに対話です。

 紳士君は理想主義者、豪傑君は侵略を好む覇権主義者、南海先生はその中間を行く現実主義者。

 異なる価値観を持つ者同士が話し合っています。‥‥

 ‥‥対話の基本原理というものは、異なる価値観を持った人と、互いの価値観をすり合わせたとき、

 自分が変わることを潔しとする。あるいは、ときには自分が変わっていくことに喜びさえ見出す。

 それが対話の精神なのです。』


そして、テキストの著者、平田先生は、南海先生の言葉を引用しながら次のように述べられています。

『南海先生はこう言っています。

 「紳士君、紳士君。思想は種子であり、頭脳は畑です。きみが真に民主思想を喜ぶならば、

 これを口に論じ、書物に著し、その趣旨を人々の頭脳にひろく植えつけるのです。

 数百年後、それが豊かに国中に生い茂っているかもしれません。」

 種が花を咲かせるには時間がかかります。それでもとにかく、南海先生のように対話の種を蒔き続ける。

 私たちにできることはそれしかありません。』


「思想は種子であり、頭脳は畑」ですか‥。この言葉も記憶しておこうと思います。

テキストを読んで、「対話の精神」を自分なりに学ぶことができました。


そして、テキストの読了後には、国際政治学者の高坂正堯先生が、その著書「国際政治」において、

「三酔人経綸問答」を引用しながら、「軍備なき平和」と「力による平和」について、

次のようなことを述べられていたことを思い出しました。


『‥‥南海先生は非武装の主張を支持しなかった。

 また、何人も恐れないですむような強い力を獲得することにも賛成しなかった。

 南海先生はただ、「外交上の良策とは、世界のどの国とも平和友好関係をふかめ、

 万やむを得ないばあいになっても、あくまで防衛戦略をとる」ことだと述べたのであった。

 もちろん、このすぐれた著作「三酔人経綸問答」の言わんとするところは、

 外交の良策が平凡なものであるということにあるのではない。

 たいせつなことは、「軍備なき平和」と「力による平和」のあいだには

 超えがたいジレンマが存在するということなのである。

 このジレンマゆえに、そのなかに置かれた人間は大きな知的苦悩にもかかわらず、

 平凡きわまる答えしか見出すことができない。』


なるほど、「三酔人経綸問答」は、すぐれた「国際政治学」の著作でもあったのですね‥。

また一冊、「読みたい本」が増えました‥‥。