『わが子の命を救うためならば、翼はなくとも人は〝鶴〟になる』
昨日(5日)の読売新聞「編集手帳」を読んで、思わず目頭を押さえました。
北海道を襲った猛吹雪の中、
わが子をかばって命を落とされた父親のことを、
子に寄せる情愛の深い鳥として知られる〝鶴〟にたとえたコラムのことです。
コラムは、万葉集の「遣唐使随員の母」の歌の紹介から始まり、
事故の概要を簡潔に述べ、そして最後は次の文章で締めくくられています。
『父親の情愛を抱きしめるたび、
白い一夜の記憶も一緒によみがえるはずである。
少女の小さな胸には重たかろうよ。冷たかろうよ。』
このコラムを読んで、決して他人事とは思えず、
わが身に置き換えて思いを巡らした読者は多いのではないでしょうか?
「果たして自分は、愛する子供のために命を落とすことができるだろうか。」
「助かった娘さんは、どんなにか辛いことだろう。」…など。
そういう意味で、
たとえ短い文章であっても、「言葉」には言い知れぬ「力」があることを
改めて認識させてくれたコラムでした。
深く胸を打たれた今回のコラムを読んで、
名コラムニストと呼ばれた深代惇郎さんのことを思い出しました。
ネットで検索すると、次のように紹介されています。
『「深代惇郎」は、東京出身の新聞記者。
東京大学の法学部を卒業後、朝日新聞社に入社。
論説委員やヨーロッパ総局長を経て、「天声人語」の執筆担当者となり、
1973年2月から1975年11月にかけて同コーナーを担当。
日本のマスコミ史上、最高の知性派の一人と称され、活躍が期待されたものの、
46歳の時に急性骨髄性白血病でこの世を去っている。』
1973年2月から1975年11月といえば、私が17歳から19歳の時に当たります。
人生の多感な時期に、
深代さんの名コラムの数々に出会えたことは、幸運以外の何ものでもありません。
「社会の矛盾」や「正義の意味」、そして「人生とは何か」などについて、
当時の若者の一人として、あれやこれやと自分なりに考えたものでした。
その「答え」は、今も見つけるこはできませんが…。
そうだ。久しぶりに、本棚の片隅に眠っている
「深代惇郎の天声人語」を手に取って、読み返してみよう。
「胸を打つ言葉」を拾いながら…。